東京から黙って泣いて帰った私に
訃報が届きました
父が岡山で亡くなったことからのご縁で
会社員時代には倉敷まで一緒にお花を習いに通ったその女性が
64歳で逝ってしまっていた…
当時から母との問題を抱えていた私を
自分の娘同様に想っていると言ってくれ
常に励まし時に叱り
どんな時も力になってくれたその人と
二度と会えないなんていまだに信じられません
3人子どものいる旦那さんとの結婚を周囲に反対されていた頃
どんな時も私の味方をしてくれていた彼女なら賛成してくれるだろうと報告したら
逆に「結婚を止めるというまで帰さない」と猛反対されたのに
実際に旦那さんと会ったら手のひら返しで
子どもたちにも会った結婚式のあと
「よかったよかった、本当によかった」と
何度も何度も同じ文章のメールが届いたことを思い出しまた泣きました
仏間で私より一回りは年下であろう彼女のお嬢さんたちに
その思い出と今回のお正月の出来事を話す機会があり
仏前で話させてもらったところ
その姉妹の口から
「確か、うちらの父方のおばあちゃん、私らと血ぃ繋がっとらんがなぁ?」
「うんうん、お父さんを生んでくれたおばあちゃんは私らが生まれる前に亡くなっとるって聞いた」
「血ぃ繋がっとらん上に、厳しい人やったけど、ちゃんと私らへの愛情は感じとったよなぁ?」
「そうそう、ちゃんと感じられたよなぁ」
「Kちゃん、大丈夫じゃがー、時間が解決するけん焦らず、いつものKちゃんでおったらいいがぁ」
という、想像だにしない言葉を受け
その夜は一睡もせず
ただただ感謝したのでした
実家を出た時や結婚を決めた時「これで良いのか否か」を真剣に問う時
必ず「大丈夫、間違ってないよ」か「違うよ」のサインが来る
今回はきっと「大丈夫」のサイン
追記
S2の発言については
「ケっ、男の言いそうなことじゃが」と一蹴